平成23年(2011年)に初めて出場し、途中2回故障により欠場したが今年で8回目の出場となった。いままでの戦績を振り返ってみたいと思う。

 今までの戦績(タイムはグロスタイム)

  第60回記念大会 平成23年(2011年)  3時間 2分46秒  

   第60回記念大会であった。この年から、フルマラソンの出場資格が2時間50分以内から3時間30分以内に緩和された。別府大分毎日マラソンは、当時、自分にとっては憧れの大会であったので、前年に下関海響マラソンで3時間24分台の記録を出したのですぐにエントリーした。初出場は、カテゴリー4での出場であった。

   当時のカテゴリー4の控え場所は、テントは周りが囲んでなく屋根しかない吹きさらしだった。また、下は何も敷いてなくアスファルトのままだった。敷物をもっていかなかったので、荷物を預けるビニール袋を敷いて座ったが、尻が冷たいのは言うまでもなかった。この時、この寒さには耐えらないと思い、絶対にカテゴリー3(3時間以内)に移れるように頑張ろうと思った。

 

 第61回大会 平成24年(2012年)    2時間57分37秒  

  前年(平成23年)の別大後の東京マラソンで、初サブスリー(2時間57分31秒)を達成することが出来、この年は念願かなってカテゴリー3での出場となった。人生2回目のサブスリー達成となった。

 

  第62回大会 平成25年(2013年)    2時間58分57秒  

  前年(平成24年)の別大後の東京マラソンで、2時間54分19秒で初めて2時間55分を切ることが出来、この年はなんとカテゴリー2での出場となった。このころは、走るたびに自己ベスト更新が出来、走ることが楽しかった。

 

  第63回大会 平成26年(2014年)    2時間58分 7秒  

   3大会続けて安定した成績を出すことが出来た。

 

  第64回大会 平成27年(2015年)    欠場         

    前年(平成26年)の9月に股関節の疲労骨折が判明(骨折は6月頃)し、それでも無理して走り続けたことにより、股関節の故障から左足首も痛めてしまいまともに走れる状態ではなかった。そのためエントリーしなかった。

  第65回大会 平成28年(2016年) 2時間50分54秒(PB)

  今回は、股関節を故障していたこともあってとにかく3時間を切ることを最大の目標にしていた。2年ぶりの出場となった。

  前年の防府読売マラソンは自己ベストを狙って走って、35kmから両足脹ら脛に痙攣が起こったが2時間54分42秒で完走し、4年ぶりにセカンドベストを出すことが出来た。その時の感想が、痙攣が起こらなかったらもう2分くらいは短縮できるかなと思った。その反面、このタイムを出してしまうと肉体的にも精神的にも疲労困憊し、燃え尽きてしまった感があり、別大ではベスト更新の挑戦は止めようという気持ちになった。

ところが、その年の元旦に東鳳翩山に登った時、初日の出がもの凄く綺麗で「今年は何かいいことがありそうな予感」がして、また別大で頑張ってみようという気持ちになった。

そして、まずは後半に痙攣がなかったらもう少しタイムを伸ばすことが出来るかもしれないと思い、痙攣しない足を造ろうと考え、1月はとにかくひたすら走った。それに加えて、走る前、寝る前のストレッチを行うようにした。

  この年は、例年と違い雪もちらつき肌寒かった。

10時半くらいからアップを開始した。走り出してみると「足が軽い!」、今日はある程度いい走りが出来るかもと予感がした。

   結果は、いままでの自己ベストを3分25秒更新して2時間50分54秒とうタイムでゴールすることが出来た。正直、ここまでのタイムで走れるとは思ってなかったのでびっくりだった。

    このころ、人からよく年を取ってなんでそんなに頑張れるの?って聞かれることがあった。

2014年6月に股関節疲労骨折して、全く走れない時期もあり、走れても体のどこかに痛みがあって思いっきり走ることが出来ない時期が1年半続いた。この痛みはいつ取れるのだろうかとずっと不安に思っていたが、2015年の11月くらいから体の痛みが全部取れて、思いっきり走れるようになった。

その経験から、「走っている辛さは、走れない辛さに比べたら全然たいしたことない!」、大げさかもしれないが「走れているだけで幸せ!」って思えるようになって頑張れるようになった。

当時、ランナー仲間からは、「自分も頑張らんといけんと思った」、「年が言い訳できなくなった」、「50歳になっても進化することが出来るんだ」と有り難い言葉をかけてもらえた。自分のようなものでも、周りの人に刺激を与えることが出来たと思うとちょっと嬉しかった。

 

  第66回大会 平成29年(2017年)    2時間52分47秒  

   人生5回目の2時間55分以内でのゴールとなった。

 

  第67回大会 平成30年(2018年)    欠場         

   前日の朝まで出場しようか悩んだが、腰痛により欠場した。

 

  第68回大会 平成31年(2019年)    2時間55分10秒  

   人生6回目の2時間55分以内でのゴールを目指して走ったが、前半のオーバーペースがたたって35kmから両足の痙攣により失速し10秒切れなかった。

 

  第69回大会 令和元年(2020年)    2時間52分35秒  

   前日に、受付を済ませホテルに着いて、ベッドに座って立ち上がろうと瞬間に、「魔女の一撃」が・・・このタイムングで・・・ぎっくり腰になった。自分では軽いと思っていたので、朝にはよくなるだろうと思った。

   朝、目覚めると腰が痛くて背筋が伸ばせない。走れない、欠場かと頭をよぎった。会場に着いて、ジョグをすると腰に響いてまともに走れる状態ではなかった。痛み止めを持っていなかったので、みっちに分けてもらおうとみっちのところに行った。痛み止めを2錠もらい、腰にガチガチにテーピングをしてくれた。職人の腕は確かで、腰が安定し走っても響かなくなった。この時はさすがテーピング職人と思った。それでも、不安はありこれなら完走できるかなぐらいの気持ちだった。

   スタートして、3kmくらい走るとぎっくり腰の影響か、左の脹脛に突っ張るような痛みが出てきた。走れない痛みではなかったので、そのままペースを落とさず4:05秒/kmペースを維持して慎重に走った。腰も最後までもってくれて、ペースを落とさずにゴールすることが出来た。3年ぶりの2時間55分以内のゴールとなり、久しぶりに納得のいくレースとなった。

   今回、うまく走れた要因を挙げるならば、

   ① ナイキのシューズが2レース目だったので慣れていた

   ② モルテンゼリーがすごく効いた

   ③ テーピング職人の腕の良さ

    特に、モルテンゼリーは、スタート前に黒のゼリーをとり、20kmでまた黒のゼリー、30kmで白のゼリーをとったが、最近の自分の課題であった、後半の足痙りによる失速が起きなかった。

   正直、ここまで自分が走れるとは思っていなかった。上には上がいるので、まだまだ、年齢に逆らったマラソンを続けていこうと思う。

    最後に、山口から応援にきてくださったみなさんありがとうございました。すごく元気が出て最後まで頑張ることができました。

ナイスタイム!