今シーズン最初のフルマラソン!最近は、下関海響マラソンがシーズン1発目のフルマラソンとして走るのが恒例となっており、今年で10回目の出場となった。
今までの戦績(タイムはグロスタイム)
第1回(2008年) 3時間29分55秒
2007年に東京マラソンが始まって、その1年後に下関海響マラソンの開催が決まり、山口県でも1万人規模(第1回は8000人が定員)の大会が始まるということで、是非参加しなくてはと思い応募した。
1回目のコースは、まだ人工島が出来ておらず人工島折り返しではなかった。そのため、復路は彦島の南風泊方面に向かって折り返すコースであった。
当時は、今ほど練習していなかったし、月間の走行距離もそんなに走っていなかったので後半歩いてしまい、なんてきついコースなんだという印象を持った。それで、もう来年は出場をするのをやめようと決めた。
第2回(2009年) 欠場
第1回大会のトラウマがあったので欠場した。
第3回(2010年) 3時間24分11秒
47歳の時に、仕事、家事、母親を完璧にこなしながら走っている人に出会い、その人に比べたら自分は練習する時間がいっぱいあることに気づかされ、それから奮起して練習するようになった。そして、海響マラソンに再度挑戦してみようという気持ちになった。前半は良い調子で走れていたが、マラソンペースに慣らす練習をあまりしていなかったので、後半失速してしまい第1回大会より6分弱しかタイムを短縮することが出来なかった。
この時は、練習に応じた結果がついてこなかったので、悔しくて即来年リベンジしようという気持ちになった。
第4回(2011年) 3時間10分38秒
この年の2月の東京マラソンで初めて3時間を切っていたため、この年は大幅な記録更新をする自信を持っていたが、前半からうまく波に乗れず思うように走れなかった。でも、第3回大会のタイムを一気に13分半短縮することが出来た。
第5回(2012年) 3時間 1分29秒
2012年の頃には、サブスリーを他の大会で何回か達成していたので、海響マラソンでのサブスリー達成を目標にして走った。前半からかなりハイペースで飛ばし10kmを39分台で通過してしまい、自分では考えられないスピードだった。案の定、30kmから大失速してしまい、1分半3時間を切ることが出来なかった。サブスリーは来年まで持ち越しとなった。
第6回(2013年) 2時間58分52秒
この年は、夏場からよく練習した年だった。海響マラソンの1週間前の大阪マラソンを2時間59分8秒で完走していた。さすがに2週連続のサブスリーは無理があるかなと思っていたが、走り出してみると意外に走れる。30kmまでサブスリーペースで走ってしたのでいくしかないと最後まで粘った。結果は1週間前の大阪マラソンよりもいいタイムでゴールが出来、念願の海響マラソンでサブスリーを達成することが出来た。
第7回(2014年) 3時間46分 1秒
この年は、9月に股関節の疲労骨折が判明しそれでも無理して走り続けたことにより、股関節の故障から左足首も痛めてしまいまともに走れる状態ではなかった。
それで、今回は割り切ってファンランにしようと思い、当時、流行の仮装に挑戦した。仮装

これが始まり・・・
と言っても何にしようかといろいろ考えていたところ、知り合いの女性ランナーが「セーラームーンの火野レイ」の衣装を貸
してくれるということで写真のように変身した。
仮装して走ると、普段の格好だったらほとんど応援されることはなかったが、目立ったせい
か沿道を通るとみんなが自分を応援してくれてちょっとしたアイドル気分を味わうことが出来た。
掛け声の多かったベスト3は、1番はやっぱり「セーラームーン、がんばれ~!」、2番目が「アフロ-、がんばれ~!」、3番目は「男子?女子?どっちなん?」でした。
自分的には3番目の掛け声を聞いたときは、一瞬女子に思われたということやから「仮装、してやったり!」とニヤっとなってしまった。
第8回(2015年) 2時間58分26秒
8月くらいから、去年故障した股関節の状態がよくなりつつあったが、夏場にあまり走り込めなかったことや30km走をほとんどやっていなかったので、3時間を切れるか不安なスタートだった。
走り出してみると、思っていたより体が軽く、10kmくらいまでは距離感を感じることもなくスイスイと走れた。それで、今日は調子がいいなと思ったが、調子に乗りすぎると後半失速してしまうので、30kmまでは慎重に走ることにした。35kmにさしかかったところで、右脹ら脛に痙攣が起きてピンチになったが、痙攣が治まるように少しスピードを落とし、ゼリーや塩熱サプリを補給ししのいだ。
そして、ゴール!終わってみれば、理由はわからないが自分でも納得のいくレースとなり、今シー
ズンの初フルマラソンでまさかのサブスリーを達成することが出来、自分でもビックリのレースとなった。
第9回(2016年) 2時間56分55秒
スタートから体が自然に前へ前へと進む感覚があった。海響マラソンのコースベストでのゴールになった。年代別順位も4位とあと一歩で表彰に届くところだった。不思議なもので、最初から最後までスムーズに走れた時は、レースの経過等あまり印象に残らないものである。
第10回(2017年) ボランティア

あと少しのところで励まされました。
エントリーしていたが、春に痛めた左足のアキレス腱の故障が回復せず、やむなく欠場をした。この年は海響マラソン10回目の記念大会だったので、非常に走りたかった。
それで、何か携われることがないかと思っていたところ、職場の関係でボランティアをさせていただくことになった。役割は、41km地点の看板を持つことだった。
正直、自分が走れないときに、仲間が楽しそうに走っているのを見るのは辛かった。
でも、今まで海響マラソンを走らせてもらっていたのは、誰かがボランティアをやって下さっていたおかげで走れていたという思いもあった。後で、聞いた話だが、海響マラソンも10回目になり、ボランティアの人たちも最初から始めた人は10歳年をとり、ボランティアをする人が減ってきたということだった。ボランティアが貴重な
存在であることを実感した大会だった。
第11回(2018年) 3時間25分11秒
体の疲れが抜けない年だった。原因は、9月、10月にウルトラマラソンを走ったことが考えられる。スタートして、前半はまあまあのペースで走れていたが、20km手前で足が動かなくなった。それからは惰性で走るしかなかった。35km過ぎからは両足痙攣で走ったり歩いたりの繰り返しでやっとゴールにたどり着いた。来年は、9月10月のウルトラマラソンは控えようと思った。
第12回(2019年) 2時間59分 8秒
当日、朝起きた時から憂鬱だった。4日ぐらい前から寝違えによる首痛で、朝、首を動かすことができなかった。DNSしようと思ったが、ラン友さんと一緒に行くことにしていたことと新聞のコラムに「私の番号を見つけたら声をかけてください。」と書いていたため、行くことにした。会場についてもなかなかテンションが上がらない。スタート直前まで走ろうか迷ったが、痛みに耐えられなくなったらやめようと思い、気軽な気持ちでスタートした。
作戦は、顔を動かすと痛いので、腹筋に力を入れて正面だけを向いて走るだった。そしたら、これが痛みも出ず意外に楽に走れた。30kmを過ぎたところから、徐々に足にきたが、とにかく彦島大橋さえ登ってしまえばあとは下りと思って粘った。35km地点が2時間26分くらいだったので、残り7.2kmを逆算して4分40秒/kmを超えなければ3時間切れると思い、安全運転を心掛けた。それでも、残りの2.2kmで両脹脛が攣りはじめてピンチになったが耐えてゴールした。 今回は、出来すぎで思ってもみないサブ3でした。結局、更衣室や走っている時も、コラムの件で声をかけられることはなかった。また、痛みの方は、走り終わって3時間が経過すると麻酔から覚めるように出てきた。
シーズン初マラソンで3時間が切れたので、次の防府では攻めて、2時間55分を切って東京マラソン出場の準エリートの資格を取得したいと思う。
